【journal】自分らしく生きたいと思うのはなぜでしょう
こんにちは。
先日告知しました
過去の私の体験などを交え、補足を書きたいと思います。
「本当の自分で生きたい」
「人生の目的に沿って生きたい」
「ありのままの自分で生きれたら楽だろうな・・・」
そう思う方は多いと思います。
これらを自然と求めてしまうのは理由があって
”自分らしくありのままの自分で生きたい”という本能の働きが、
これらへの思いを馳せてしまうようです。
私たち人間は自然物であるので
”自分らしい状態=自然な状態”を望んでしまうのは
とてもナチュラルなことだと思います。
私も、過去に年中そんなことを考えていた時期がありました。
自分らしく生きる”を追い求める・・・落とし穴
”自分らしくありのままで生きれたらいいな”
”世界がそう変わったらいいな”
そう思って、これまで数々のヒーリングワークをおこなってきました。
今でもその気持ちは変わりません。
素敵な言葉で、憧れる言葉ですが、
そこへトライすると、お試しもたくさんあります。
「はて、自分らしさって何だろう?」と考え始めると、
<じぶん>を見ることは
実は<他者>を見ることにもなります。
なぜなら、
他者を通してでしか自分自身を認識できないし、
<じぶん>に対して<他者>を置かないと、
「これが自分らしさなのか」比較ができない。
そして、比較していくうち
親を含めた他者や世間に
自分を認めてもらいたいという欲求もムクムクと湧き上がり
いつの間にか
”他人軸の中の自分らしさ”
”他人に認めてもらえる自分らしさ”によってしまったり・・・
でもこの現象って、
人は一人では生きてないことでもあるので
それはそれで素晴らしいことであります。
”ありのまま”を自然から見習う
私自身この難題を追い求めているうち
地球の大先輩である自然(森や山)たちの存在が
いかに素晴らしいかよくわかり
心を通わせてみることにしました。
木々や森は、
他の木と比べたりすることも
他の木から奪ったりすることもありません。
正義を押し付けたり
ジャッジしたりしない。
全てが1つであり、
お互いを生かしあうことを、存在としてあらわし生きています。
私たちが山や海に行きたくなるのは
自然のあり様が、お互いを尊重し合いながら生きているから
癒されるのだと思います。
7月と9月に九州にライトワークに行ったのも
大いなる自然=自然神とつながることが、目的の1つでもありました。
先日、ご案内した
案内文には、
「神聖な喜び」という言葉を使わせて頂きました。
「神聖な喜び」とは
生きているだけで”幸せ”を感じること
そして
生きていることを”愉しくする”ことです。
「神聖な喜びへの目覚め」のヒーリングの中には
自然神からいただいた叡智/エネルギーを、たくさんつかい構築してあります。
”自分らしさ”や”ありのまま”にたどり着くためへの
癒しや気づきが促され、自分への理解が深まることで
さらに癒しが促進するようになっています。
期間限定価格で10月末日までご案内しております。
必要な方に届くことを願っております。
よろしくお願いいたします。