心の中の鏡

先日、厳島神社の鏡池でライトワークしてから

心の中に鏡ができ

何を写すためのものなのか、毎日試行錯誤しておりました。

厳島神社の鏡池

その鏡は

自分を映しても、ただ自分が映るだけで何もわからず・変わらず

自分のことならチャネリング したほうがわかりやすい・・・

 

 

はて

何のためにこれを使うのか

なんども実験して観察して・・・

繰り返すうち

投影を映す鏡であることがわかってきました。

 

投影を映す

 

投影されること、することは、あまり良いことではないと思っていました。

過度の投影は、依存になる。

依存が過ぎれば、自立できない。

 

本当の意味で自立して生きたかったから、仕事を始めたし

何か役(父・母・娘・息子・会社員など社会的な役目のことです)にはまることは好きではなかったし

それが自由だと思っていて

その役から外れることが、正解のように感じていました。

 

心の中に鏡ができることによって

投影によってでしか、自分が存在しないことがわかりました。

誰かが私を映してくれなければ、私は存在しない。

 

心の中にある鏡を誰かがみて

初めて

私が私である

存在することを確かめることができていた。

 

要は、全ての方々(人以外の存在も含め)生かされていた・生かされている

ということです。

 

投影がいいよって意味ではありませんが、

鏡を通じて

1つわかったことがあります。

 

自分自身は1粒の種以外何も持っていなかったこと

そして

そこからでる新芽は、自分しか育てていくことができないこと

そして誰にも壊すことはできないし、

それこそが私自身であり

そして種以外、何も持っていなかったこと。

 

本当の意味で力を抜いて生きることをひたすら追求してきましたが、

こういうことだったのかもしれません。

自他者に対する感謝の気持ちと種

それが神からのギフトであり、恩寵なのかもしれません。

 

 

生まれながらにして持っている神々からのギフト=恩寵を感じながら、

生かし生かされることを学びながら、ご自身を生かしていくワークはこちら

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お読み頂き、ありがとうございました。